日溜りの窓辺でお茶を

40代おひとりさま適当暮らし

8:15 黙祷

広島で世界初の原爆が投下された1945年8時15分。

今日の東京よりもずっとずっと綺麗に、雲ひとつなく晴れた朝だったそうだ。

 

現在は原爆ドーム呼ばれている、産業奨励会館。

親族の一人が当時そこで働いていて、地下へ向かうのを小遣いさんに目撃されたのを最後に不明。

当然私が産まれる前、祖母から母が聞いた話でしか知らないし、名前も覚えていないけれど。

女学校を出て働き始めてすぐの頃だったというから、まだ二十歳にもなっていなかったかもしれない。

末の妹だったらしく、家族は市内への立入ができるようになってから必死で探したけれど、爆心地の側だし遺体なんか残っていない上あっても身元がわかる状態のはずもなく、消息不明からの死亡扱いで遺骨なく埋葬に。

 

子供の頃、毎年平和記念式典に連れて行かれて、背景や想いをよく分からないながらも、いつも怖かった。

当時の資料館は暗くてリアルで何度見ても慣れることはなかったし(30年くらい前からは改装されて明るくなり、リアルなものや実物は大分下げられて雰囲気が180度変わっている)、ドームを見ることもできなかったし。

何より子供の頃から大人になっても(最近まで)、何故か焼夷弾や爆撃が降ってきて火の海の中を逃げ惑うリアルな夢を不定期に見ていたから、どうしても他人事にも過去ごとにもできず、果たして前世は戦火で死んだんだろうか?と思うほど。

 

うちの親族は広島といっても宮島寄りなので原爆の影響はなかったらしく、また市内の学校に通っていたという人も何故かこの日に限って遅刻して着替えのために地下防空壕にいて助かったという。

何か外が前代未聞のヤバイことになっていると感じて、そのまま防空壕に止まって、外が静かになってから出たそうだ。

他の体験者同様に、滅多に戦争や原爆について口にすることはなかったけれど。

ちなみに市内に住んでいた一家は、地方へ疎開していて無事。

 

どんどん当時を知る人が居なくなって、この平和記念式典の意義がどこまで後世に正しく伝わるのか不安はあるけど。

 

新型コロナもあって、ここ何年も広島には行っていないし、親族のお墓にもお参りできていないけれど。

この続く空から平和への想いを。